伝えたい「蔵」の記憶(267)馬車の活躍
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2018.10.1
急速な戦後復興を遂げる釧路の人口は、昭和24年の鳥取町合併もあり同26年に9万7973人を記録し10万都市目前でした。同27年1月3日の北海道新聞には、しめ縄で化粧した釧路市衛生課の荷馬車の清掃車が勢揃いし、「汚臭の街の汚名返上へ・今年こそは…と清掃車張り切る」の記事が掲載されています。
道東戦後40年史の中にも、昭和27年1月16日の東北海道新聞に掲載された清掃車(荷馬車20台)の記事がありますが、「急激な都市膨張による糞尿の悩み」と、張り切っても思うように清掃が進まない状況が記述されています。釧路の「汚臭の街の汚名返上」も担い活躍していたのが馬車です。
昭和25年12月19日実施の北大通り交通量調査結果によると、自動車1285台、自転車2万5080台、馬車871台、人1万8533人。輸送手段に占める馬車の役割が高いです。ゆっくり力強く道路を歩く馬車の姿は、産業活動だけでなく復興に取り組む市民生活を支え、安らぎも与えています。

写真は、力強さを感じさせる石炭を運ぶ運炭馬車です。寒さが近づくと、城山町の貯炭場から運炭馬車が列をなして市内へ出発します。越冬準備の石炭を満載した馬車が道路の端に石炭を山積に降ろします。降ろした石炭を石炭箱まで運ぶのが子供達の仕事ですが暖かく燃えるストーブを囲む家族の団らんが最高でした。年末が近づくと蜜柑箱を満載した馬車が楽しい正月の訪れを知らせ、大人も子供達も心をウキウキさせるのでした。
復興により活況を呈する街中を力強く歩く馬車は、市民生活復興を支えた記憶を伝えています。




