伝えたい「蔵」の記憶(174)豆より工場
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2016.7.4
昭和6年9月20日太平洋とオホーツク海を結ぶ釧網線が全通し、釧路の経済圏が十勝、根室から北見へ拡大します。釧網線開通について、雑穀類の欧州輸出に絶対好機を得た釧路港が、今秋どれほど輸出するか、北見から輸送されて来る青豌豆の経済効果を期待する記事が釧路新聞に掲載さています。
昭和5年頃の釧路川河口右岸の市街図を見ると、浜釧路駅からの鉄道引込線、雑穀類を保管する三上倉庫などの倉庫群、移出・輸出業務を取扱う三井事務所、道庁出張所などが見られ、十勝の雑穀類など鉄道沿線各地から釧路へ輸送され釧路港から船積する集散地機能が、西幣舞、頓化に集まり釧路港の活況を支えています。

写真は、頭に日本手拭、割ぽう着姿の多くの女性が作業をしています、雑穀釧路の集散地機能を支えた豆の選別作業の光景です。人選工場、選穀工場と呼ばれ、鉄道輸送されてきた豆を女性の手仕事により種類、等級(粒、色合い、光沢)、量目を揃え船積みされます。工場は釧路川河口右岸の頓化(現浪花町5丁目~6丁目付近、南浜町)に集まり、船積作業は釧路川右岸から、かます詰めにされた豆を荷役作業員が肩に乗せて「歩み板」を歩いて艀に積み込み貨物船へ運ばれます。
秋になると、十勝の雑穀が豆選工場に入荷し、女の人のほどんとが豆選工場に集まり、家にいるのは病人か赤ちゃんか小学低学年ぐらいと、頓化の様子を伝えています。(寿小学校記念誌)
女性に支えられた豆選と、屈強な男性の雑穀の船積み光景は、釧路の活況を支えた豆の街頓化の記憶です。




