伝えたい「蔵」の記憶(165)西幣舞の氷倉庫
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2016.4.25
昭和初期は、昭和2年の金融恐慌、昭和4年の世界恐慌の影響を受け、釧路地方も不景気が深刻な時代でしたが、大正13年の人口4万7357人をピークに減少していた人口が昭和5年に5万1586人を記録します。不況が続く中での人口増加と市勢拡大が続いた要因の一つは、漁業の活況で、特に鮪の豊漁です。
鮪漁は、明治39年頃より多くなりますが冷蔵施設も無く輸送が隘路(あいろ)となり削り節の代用として鮪節を製造したと伝えられています。
昭和4年の釧路市史に、「鮪流し網漁業が最高期を迎え300万貫以上の大漁となり、魚粕にされるものも出る」と記述されています。昭和4年の鮪の水揚げ記録を見ると、釧路漁港の水揚げ量の21%、金額では40%を占めています。
飲食店、料理店、遊郭の各方面にその金が散ってゆく、一方魚菜市場は大漁の時あたかも戦場のような有様を呈す。氷売る倉庫も多忙を極める。釧路の夏は何と言っても鮪だ、今年も百万円の水揚げ…と鮪の豊漁の様子を釧路新聞が伝えています。

写真は、昭和5年頃の西幣舞釧路川右岸・幣舞橋上流の地図です。昭和3年に始まった釧路川市埋立地に、本間開魚干場、干魚場の近くに氷倉庫があり、釧路の鮪漁を支えていました。鮪の仕向地は、関東80%、関西10%、他道内と遠隔消費地へ輸送され、氷は鮪漁に不可欠です。現在のような機械製氷と違い、冬になると釧路川の幣舞橋上流の天然氷を切り出し氷倉庫に保管し、鮪冷蔵運搬船に積み込みます。
氷倉庫と釧路川の氷の切り出しの光景は、西幣舞の街並みの記憶です。




