伝えたい「蔵」の記憶(151)歳末大売り出し
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.12.21
釧路は、鉄道の延伸と港湾施設の充実により目覚ましい発展を遂げ、大正11年に市制が施行され人口4万2873人を記録します。道東の拠点都市として次代の躍進を目指して上水道敷設、幣舞橋鉄橋への改築、市役所庁舎新築などの都市基盤整備を進められ、停車場から幣舞橋迄の西幣舞商店街が活況を呈しますが、大正9年の株式市況暴落と綿糸と生糸相場の大幅下落による戦後恐慌により釧路の商店街も新しい時代を迎えます。

写真は、不況が深刻化した大正12年12月20日釧路新聞に掲載されたト北村呉服店と丸三両角呉服店の歳末大売り出し広告です。西幣舞の北村呉服店は、西幣舞共同売出しに参加し店では本毛角巻特価提供売出し、真砂町の両角呉服店は、1等から10等までの福引を伝えています。真砂町が創業地で西幣舞に支店を開設した両角両呉服店、西幣舞が創業地の北村呉服は共に明治39年創業ですが、厳しい商況の時代に他店を圧倒する大きな広告を見ますと店主の商いへの気概が伝わってきます。
大正12年の歳末商戦は、9月1日M7.9の関東大震災により景況が悪化し厳しい商戦が想像出来ます。 大正時代後半の商況について、「大正9年の綿、生糸相場の暴落により老舗の藤野、江縫、中川などが倒産して丸三と丸トが残った」(北村藤吉丸ト北村七十年の歩み)、「大正11年以後昭和元年に至る間は不況で物価は漸落、購買力は萎縮し商工業者にとつて極めて苦難の時代であった」(両角栄治追憶五十年)と先人が伝えています。
歳末大売り出しの広告は、西幣舞商店街の活力の記憶です。




