伝えたい「蔵」の記憶(141)市章の話
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.9.28
大正9年7月1日釧路に区制が施行され、釧路新聞は「釧路発達史上一新紀元を劃し所謂大釧路建設、文化促進のスタート」と区制が施行された釧路が新しい時代を迎えたことを報道し、区民の感激の様子を伝えています。
初代区長の林田則友は、当時の釧路は人口増加により市街地は拡大しているが、釧路区は未成品なので将来の区、市となるべき諸条件の道路、下水道の改修開削、施設の充実などを提唱しています。都市としての必須条件32項目を列挙した釧路区施設事業計画を作成して次代の釧路発展を支える基盤整備を計画、実践します。
道東の中心都市釧路のシンボルとして誕生したのが、大正9年区制施行の際に制定された写真の市章です。外側は北極星を、内の丸は釧路を表徴しています。「釧路の釧(セン)は一字で『くしろ』と読み『腕輪』を意味するところから外郭の北極星の2倍の太さの線を以てこの輪を描くものとされたのである」(釧路市史より)。

北海道を象徴する北極星に囲まれ、釧路市が栄えることを祈って作られました。
明治2年開拓使判官松浦武四郎により「クスリ」が釧路と命名されました。武四郎の命名案の中に「文字釧路にて如何可有之哉、此釧は土人テクルンカンとして今にクスリ、アバシリ北蝦夷島には相用居候」と「くしろ」を意味する腕輪をアイヌの人達が使用していることを説明しています。松浦武四郎の釧路命名の思いが市章の「丸」に伝えられている様に思います。
市章には先人の夢と活力、次代の繁栄への願望が記憶されています。




