伝えたい「蔵」の記憶(140)西幣舞大通
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.9.21
大正時代の釧路の人口動態を見ますと、大正元年の戸数5749戸、人口2万7662人が大正15年には8272戸、人口4万1195人と急増しています。釧路町は人口の増加と市街地の拡大が続き、大正9年区制が施行されますが、同11年は摂政宮殿下(昭和天皇)行啓と待望の市制が施行されます。大正時代の釧路は、急速な発展が続き次代への都市基盤整備の計画と実施により街並みも変貌しています。
大正8年、林田町長は北海道内の中核自治体に、翌9年に区制が施行されるとの情報を得るや、区制実施にむけて運動を開始し、町政の指針となる「釧路町施設事業計画案」をまとめます。計画は、第一に上水道の敷設から始まり34項目からなつている。その中に「幣舞橋北橋詰から釧路停車場まで─北大通」とあり街路名に北大通が登場し、街路の拡幅が交通と防火のために必要とされ、大正9年と10年で完成させる意欲的なものだ。(街角の百年)

写真は、大正末期の拡幅された西幣舞大通の商店街(現北大通4丁目付近)から幣舞橋と正面には大正12年に竣工した近代的な市役所が見えます。拡幅された西幣舞大通の右手前が土蔵造りの丸ト北村呉服店、反対側がサ一村上文具店が見え、車歩道が区分された路を馬車や大八車が行き交う光景ですが、西幣舞大通が大きく変わろうとしています。
市役所庁舎が橋南の洲崎町か橋北地区の幣舞橋、西幣舞大通、釧路停車場などを見渡す幣舞の高台に建てられたのは、街の中心市街地が橋南から、目覚ましく発展する橋北の西幣舞大通へ移動する兆しを感じさせます。




