伝えたい「蔵」の記憶(139)釧路運輸保線事務所
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.9.7
西幣舞の街並みは、木材、漁業などの活況と鉄道の延伸による後背地の開拓の進展により大正時代に入り急速な拡大を続け、大正4年橋幅が7.2㍍に拡幅された3代目幣舞橋の架橋は、馬車が楽に擦れ違いが出来て交通輸送機能を増加します。停車場から幣舞橋の大通は大火に対応する為に防火線として同8年から拡幅が実施され、都市機能の基盤整備が実施され町の発展を支えます。
西幣舞の街並みは、大正6年に釧路停車場が松浦町(現北大通14丁目)に移転新築した事で大きく変わります。同10年根室本線全線開通、同12年雄別鉄道が釧路・雄別間の貨客運送を開始します。鉄道の延伸により交通運輸の拠点釧路は、沿線各地の開拓を促進し大きな役割を果たし、停車場は沿線各地の交流拠点となり西幣舞の躍進を支えます。

写真は、釧路停車場の隣の松浦町(現在の北大通14丁目)に大正11年竣工した釧路運輸保線事務所です。西幣舞の大通(現在の北大通)の突き当たりにあり堂々とした建物は、市内でも屈指の建物でした。
釧路駅の大正5年当時の釧路駅の出入客数は乗降共に年間6万位ですが、運輸保線事務所が竣工した同11年の乗降数は、乗降共に20万人以上に急増しています。乗降者の急増は、鉄道が主要交通機関の役割を果たし釧路の躍進を支え、西幣舞大通商店街の活況を演出します。
道東の拠点都市釧路の玄関に並ぶ釧路停車場と釧路運輸保線事務所は、西幣舞大通が釧路の中心市街地北大通となる事を予測しているようです。




