その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(138)釧路の自動車

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.8.31

 大正4年1月3代目幣舞橋が誕生します。木の橋ですが幅が倍近くの7.2㍍になり橋南と橋北を結ぶ釧路の主要交通路として釧路の発展を支えます。大正4年7月釧路で最初の自動車が登場して拡幅された3代目幣舞橋を渡り釧路停車場へ走ります。

釧路で最初の自動車(大正2年)

 米町から停車場(現市役所)までの約2160㍍に十数分もかかるスピードでは、高い料金を払ってまで乗る事はないというわけで、また人力車がはばをきかせるようになった、と釧路市史は大正時代の交通機関の様子を記載しています。

 明治末から大正時代にかけて、汽車、電話、電気、自転車など近代的な文化が釧路に現れます。写真は釧路で最初の自動車の写真で、釧路に営業自動車がはいったのは、大正4年7月の事で、当時米町で人力車を営業していた小川勇次郎が横浜からマックスピール号という中古車を買い入れて自動車業をはじめました。

 北海道で一番早い営業だと云われていますが、人力車営業組会が自営防衛策として廃業を説得しますが、応じないので対抗策として組会も自動車を購入して競争をします。しかし、両者共収支があわず一年位で廃業します。

 自動車の登場は、当時の人々を驚かせ新しい時代の文化を感じさせたと思います。

 釧路の旅客自動車業の始りは、大正9年海産商の佐々木定三、自転車屋の菅田助治、運転手の鈴木寅蔵によりサスガ自動車会社が設立され、ハイヤー業を始めます。会社所在地は西幣舞の繁華街(現在の錦町4丁目)ですから、西幣舞の躍進を象徴している記憶です。

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