伝えたい「蔵」の記憶(110)湿原の北大通
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.1.5
自然発生的な漁村集落の釧路の街並みは、明治17、18年の鳥取士族の移住、同18年釧路郡役所の設置、春鳥炭鉱の開鉱などにより活力溢れる開拓時代を迎えます。当時の釧路の街の様子を伝える絵図が、開基60年記念に発行された鳥取町史に掲載されています。

絵図を見ますと、釧路川は阿寒川が合流して水量が多く、川幅も現在の2倍以上の大河です。釧路川左岸(現在の南大通)には、戸長役場、神社、人家、アイヌの小屋が並ぶ街並みが見えます。釧路川右岸の西幣舞、現在の幣舞橋から釧路駅を結ぶ北大通を中心とする釧路の中心市街地には集落が見えません。
現在の釧路駅の裏側に誕生した鳥取村には、柳の森林が覆う阿寒川に沿って規則正しく鳥取士族の家屋が並んでいます。絵図で釧路川右岸を見ますと、現在の釧路駅付近と錦町2丁目付近に沼があり、釧路川の渡船場より鳥取へ通じる道路は沼を迂回しています、道路の周囲にはヤチと柳の森に覆われ、踏み分け道路は沼、ヤチを避けているようです。
現在の北大通を中心とする釧路の中心市街地は、釧路川に橋は無く、官設の渡船場に往還の人を配し、今の北大通の右手は一面の草原で、中程に中戸川平太郎の住宅が、只1軒ぽつり建って居た。右一円は気味の悪いほどの柳林、ヤチ、泥沼が連なり、よく馬が落ちて死んでいたと、当時の様子を伝えています。(鳥取町史古老談)
湿原から道東の拠点都市釧路の中心市街地への変貌は、釧路発展の原動力となった開拓に夢を託した先人の思いが伝わっています。




