その他 蔵の記憶
公開:2026/03/04 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(94)にぎわいの幣舞橋

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.8.25

 昭和3年に完成した4代目幣舞橋の光景は、活力ある発展をするわが釧路の自慢で、絵葉書、観光案内書で紹介されています。

絵はがきに使われている4代目の幣舞橋。当時の活気が伝わる

 写真は、昭和初期の幣舞橋のにぎわいを伝える、幣舞橋北橋詰より南橋詰を望む絵葉書です。幣舞橋の車道を歩く人、横断する人がいて、車の少ないのんびりした時代のようです。昭和7年ごろの地図を見ますと、南橋詰には釧路信用組合、商工会議所と釧路経済の中核があり、伝統ある橋南と新興の橋北を幣舞橋が架け橋の役割を果たしているようです。

 幣舞橋が完成した昭和初期は、不況が深刻化しますが、釧路市史の記録を見ますと、昭和4年のマグロの豊漁、昭和9年のイワシの豊漁と、釧路のにぎわいと活気を伝えています。釧路川治水工事が昭和6年に竣工し、新釧路川の通水開始、釧網線の全通と、道東の中核都市への基盤整備が進められ、昭和7年に市制10周年を迎え、町名地番の改正が実施され、市勢の拡大に対応しています。町名地番の改正は、現在の町名に受け継がれています。

 幣舞橋から釧路駅通りを見ますと、北橋詰に消防本部が昭和4年に落成し、多発する火災の被害防止の役割を果たしています。昭和5年には、道東で最初のデパート丸三鶴屋が開店し、廉売市場、拓殖銀行出張所、大小の商店が並びにぎわいの商店街で、昭和7年の町名改正で北大通と命名され、北大通の東側には、劇場、飲食店が並ぶ歓楽街で末広町と命名されました。鉄橋の幣舞橋は、市街地の拡大と躍進する昭和初期の釧路の街並みの記憶を伝えています。

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