編集部コラム「一目惚れがしたい」

春分も過ぎ、冬の足音は遠くへ去った。道民としてはまだタイヤ交換こそしないものの、そろそろ厚いコートは脱ぎたい季節である。
毎年不思議に思うのだが、春に着る服というものがない。秋と同じ格好をすればいいはずなのに、どうにもしっくりこない。そして、春は何を着ていいのか分からないと毎年同じことを言っている自分がいる。
ショッピングと言えばそれは娯楽であり、休日の過ごし方のひとつであり、服飾品を選ぶことであった。ところがネット上での購入が当たり前となった今、ショッピングという言葉自体が古くさいものに感じている。
北大通が栄えていたふた昔くらい前、町に出ると丸ト北村があり、丸井今井があり、イズムがあり、店先を眺めているだけで楽しかった。
マネキンが着ているディスプレイや、棚の商品をちらりと見る。買う気もお金もないのに、たまに「これは!」という商品と衝撃の出会いをする。いわゆる一目惚れである。
家に帰っても、次の日になっても、その商品が脳裏から離れず悶々とする。気になって次の休日にもう一度見に行く。売れてなくなっていれば「どうして買っておかなかったのだ!」とモーレツに後悔するし、無事にあればあったで値段にびびって店の前を行ったり来たりする。
そういう葛藤が今とても恋しいのである。心をわしづかみにされるような一目惚れがしたい。
画面のボタンを押すだけで商品が買えるようになった今では、失敗しない買い物ばかりしている気がする。目を皿にしてレビューを読み、価格を比較しては無難な選択をする。これは!と思う商品を見つけても、実際の質感やサイズが分からないので感動は薄い。
昔は買う理由なんてなくてもただ欲しいという衝動だけで動いていた。だからこそ、手に入れたときの満足も、逃したときの後悔も、やけに鮮明だったのだろう。
ありとあらゆる商品が選べる時代にいるのに、心が動く瞬間はずいぶんと減った。便利になっているはずなのに、記憶に残る買い物は少なくなった。
だからこそ、恋い焦がれるような一目惚れの感覚を懐かしく思ってしまうのだろう。
都心に出掛けて心ゆくまでショッピングをしてくればええがな、という話なのではあるが、そこまでファッションに価値を求めていないので、贅沢な悩みというかささやかな不満という話ではある。
どうでもいいが、春が来たとはいえ釧路はまだまだ寒い。それなのにもう店先には半袖しか商品がないという全国展開システムはどうにかならんのか。
(ごめのすけ)



